オ−ラについて
オ−ラについて
 
オーラ伝導師
清 水  雅 一/Masakazu Shimizu =サンタマン/ 清水 月人(しみず らいと)
1961年12月2日生まれ。愛知県出身。スピリチュアル・伝導師。
趣味  音楽(作曲)山登り(聖地探索)

ちょうど、15年前にあるきっかけがありました。家の前に丸い握りこぶしぐらいの2つの石がありました。その石はちょうど白く太い線が何と2つの石を跨ぐように繋いでいました。近所の人は白蛇様かもしれないねと言われ、また、床の間に置くと良いかもしれないとも言われました。そこで、その夜床の間へ飾ろうと思いましたが、どーも気が進まなく、また、近所の人が霊の師の方に見てもらったらで、ちょうどその先生は縁が無いと見てもらえないとの噂でした。それも何かの縁でトントン拍子で見て頂ける事になりその二つの石を見て頂ける事になりました。
その石には、大きな白い大蛇がとぐるを巻いていたそうです。また、その石は大昔、部落のリーダーの墓石だったそうです。当時は部落の人々はお金が無いので、石に墨で清元と書かれその念でその石には清元と掘り込まれたそうです。そしてその先生は私の家の横に清水が湧いているだろうとおしゃったのです。私の自宅等来たことも無いのに・・・・・そして、その先生はその清水の奥に祠があるだろう。その祠の裏に特別な塩を巻き奉納しなさいと言われたのです。言われる事はすぐに実行しました。でも、その時は私は疑う気持ちが残っていました。
また、それから、不思議な事が次々と起こりました。それでも、まだ、心のどこかで疑いが残っていましたね。

また、その先生にお話をしていて、家の当時3歳の娘が喘息があり、国が認める喘息患者でその当時入院退院の繰り返しでした。その先生がおしゃったのは、「喘息を治す事も出来るぞ」と言われやはり嘘でしょと思いその時はその場を立ち去りました。その夜に発作が出て、「また、明日の朝入院だね」と家内と思い本当に喘息で家族もばらばらになり精神的にも疲れていました。疑う気持ちで朝先生に電話をして喘息を治して頂けるようにお願いをしました。まだ、その時は直らなかったら、病院へ連れて行こうと言う気持ちでした。

先生の自宅に着き先生がお経を唱えだしました。娘の「ヒュ−ヒュ−」と言う呼吸が止まったのです。自分の中で「嘘でしょう」と思いましたが、それは事実なのです。本当に助かったと思いました。症状のきつい子は3回ぐらいは必要と言われましたが、その先生も私たちの財布の中身がわかるようでお金の無い者からはお金は取れない!気持ちだけ奥にある祭壇に寄付させて頂きました。そして、その先生が言われるのはこの喘息を治すお経は夢枕で授かった物だ。そのお経は奥三河の古戸神社の神さまから授かった物だから、必ず、必ずお礼参りだけは行きなさい。御礼参りをしないと大変な事になるとまで言われました。喘息でも治せる喘息と治せない喘息があると言われました。それは、まだ小さな子供であれば直せるが、大人は治せないとまで言われました。子供のうちは嘘や人を騙したりの数が少ないが、大人になると積み重ねで直せないとまで言われたのです。喘息の原因として家は動物のアレルギーとして出ているはずだ。また、遺伝等からも喘息が出てくるそうです。それに当時私の家は井戸水でそれも要因の一つだと言われました。だから、標高200m以上の山の針葉樹がある湧き水を飲ませなさい。また、その針葉樹は自然から発生するオゾンもある。その水を飲ませる事により体質改善が出来るとまで本当に利に叶う事まで言って頂けました。それから、山の水汲みが始まりました。家内の弟夫婦の子供さんも喘息で治して頂きました。それからは、この世に不思議な世界があると確信しました。

 その石から、先生と縁が繋がり先生から、色々な事を教えて頂きました。その先生は利に叶った話を聞かされ技術的にも今や当たり前のインバ−タ−を開発されたり、ミシンの布を送る装置開発されたり技術的にも世の中に貢献している人です。
仏は宇宙の知恵、神はエネルギーと唱えていました。その先生は何か問題となる事にあたり二十八部衆の観音様が現れてその得意分野問題を解決するに当り観音様がその時、その時現れて問題を解いて頂けるのです。私もかなり救って頂きました。




 2005年1月頃から、ボランティアでガイアシンフォニー第5番、たぶん、ガイアシンフォニー第6番に出演される奈良裕之さんの音楽ライブをを企画したり、軌保こと「てんつくまん」の映画アンドト−クライブを自分で企画して大勢の人に賛同して頂きました。奈良さんには家内が4年前に夢日記でニュ−トラルってある人から言われる夢を見たそうで奈良さんとお別れする時に奈良さんに「ニュ−トラルな人ですね」と言われたのです。「えっー」て感じで家内に言われたのです。また、てんつくまんからのメッセ−ジよりサンタになれとメッセージがありました。それからサンタマンと名乗る事にしました。

てんつくまんの書き下ろし色紙(てんつくマンのメッセージ)
最後の部分でサンタになって・・・でサンタマンに成りました!(汗)
本名 Masakazu Shimizu
ハンドル名 サンタマン 射手座 A型
生まれ 1961・12・02
現住所 愛知県名古屋市中区
出身地 愛知県豊川市
仕事 水処理(水処理、環境の研究開発)
性 格 至ってオトナシイ
身長 179.8cm 
パソコン 自作パソコン CPU CoreDuo 3GHZ 600GB メモリ-3GB
WindowsXP
ソフトウェア DTM作成ソフト SingerSongWriter 7.0
音 源 Roland SC-8850
楽器 マ−チン D-28 オベーション アダムス
フェンダー ストラットキャスター 紫色(ジェフベックモデル)
フェンダー ストラットキャスター カスタムショップ
ギブソン レスポール スタンダード カスタムショップ
ギブソン レスポール54年モデル カスタムショップ
 
楊琴  Roland JUNO−G  Roland VG-88 
ケ−ナ 一部あるだけ・・・弾けない(汗)
趣味・特技 パソコン(さわるだけ・・・)
 作曲、作詞
 ホ-ムペ-ジ作り
 音楽鑑賞
 インターネット
 山登り(ハイキング)自然探索
スキュ−バ・ダイビング(ここ10年は潜っていない)
  
影響を受けたアーティス ト ケルティック ウ−マン
サラ・ブライトマン
ADIEMUS
Led Zepplin
THE Betles
Char
風の楽団
子龍
坂本龍一
久石譲
井上陽水
スティ−ビ−ワンダ−
山下達郎
角松俊生
原田真二
村松 健
トライト−ン
姫神

                         自己紹介

 はずかしながら、最近ホ−ムペ−ジを開設しました。ある意味ですごく楽しみでもありました。       
 昔は、バンドなんぞやっていましたが、時間やら、疲れなどで、音楽と離れていってしまいましたが、パソコンを購入し、また、音楽を自分のペ−スでやれるようになって、毎日が楽しいです。                      
 音楽を聴き始めたのは、今から30年前、ラジオを聴き始めていわゆる歌謡曲を聴きピンキ−ズとキラ−ズや、桜田淳子、森田健作、(おこれ男だ)等の音楽に影響され、当時は録音できそれを、再生できるシステムがめずらしく、毎日、テ−プレコ−ダ−に次々と録音し、後で何度も聴くのが楽しみでした。小学校3年生の時音楽をやり始めたのは、小学校4年生の時、井上陽水や、かぐや姫、吉田拓郎、等を聞き影響を、受け中学2年生に新聞配達で初めて中古のギタ−5千円で買いましたそれから、ギタ−を弾き始め、その時代、指にギタ−ダコを作ってみんなに、自慢するのが、流行みたいで、まあ、いわゆる青春だったのかも・・・・・・その時代は、コンプレックスの固まりで、何かを手探り状態で探していたのでしょう。それと、TV子だった。朝から、夜中までTVを見ていた。その時代は、大半が白黒TVが主流でちょうど、そのころ、カラ−TVが出始めそれも珍しかったんだろうと思う。      
だから、何かを見つけたかったんだろうね!その中で見つけたのが、音楽だった。               
 そして、中学2年生の時に、レッドツッペリン、ビ−トルズ、ディ−プパ−プル、等をはじめてレコ−ドで聴きすごくショックを受けた。これは、なんと言うミュ−ジックだって感じだった。世界はひろいって思った。それから、エレキギタ−を購入しペケぺケって感じではじめた。音楽として、すごく影響を受けたのが、、レッドツッペリンのギタ−リストジミ−ペ−ジだった。天国の階段を聴いた時フォ−クギタ−から、奏でられるなんともい得ないメロディックな感じから、ハ−ドな曲への展開へと心は変動し最後は、静かに終ってしまう。
 この、時代のクラシック音楽とさえ思わされた。こんな曲を作れるなんてすごい。それから、ジミ−ペ−ジに影響され、バ−トヤンシュのレコ−ドを手にいれた。その当時イギリスでは、サイモンとガ−ファンクルさえ影響を受けて、次々と名曲を送り出していったのである。バ−トヤンシュの奏でるギタ−は、今ときめくエンヤの故郷であるケルト音楽のように、詩人がハ−プを弾き、妖精とお話しているような世界に陥る。 ギタ−一本でのオ−ケストラのようだった。ジミ−ペ−ジよりも、影響が今でも残っているのは、むしろ、 バ−トヤンシュだったかもしれない。                                       
でも、それでも、フォ−クソングを奏でていました。あまり、うまくはなかったけど・・・・それから、曲ってもんを作り始めた。作ってみたい一心で中学2年生の時にはじめて曲を作った。最初はコ−ドと曲が合わなくて・・・・大変だったけど、人間なんとかなるもんだとも思った。それは、今でも同じだけど・・・・・・                    
今、自分は水処理の仕事をしています。最初は右も左もわからなかったけど、失敗の繰り返しだったけど、やっぱり 何とかなってきた。だから、同じ共感を持っている人はたくさんいると思う。何か感じた人メ−ル待っています。